ぶっちー、
お返事ありがとう。
今、大阪にいます。
出張なんだけど、仕事でヘマをやらかして、お客さんに「謝罪」しに来ました。
オンラインやAIではどうしてもできない仕事、それが謝罪です(ドヤァ)。
『謝罪の王様』という映画があってだな、これがまあ面白いんだわ。
キャッチコピーは「謝るとき、人は誰でも主人公」。
脚本は宮藤官九郎、主演は阿部サダヲ。
おバカな笑いも、ここまでくるともうアートだな、と思える作品。
人生が灰色になったとき、ぜひ『舞妓Haaaan!!!』と2本立てで見てください。
さて、「戦争と女性の人権博物館」の話に対するフィードバックが今さら返ってきて、おお、と思いましたよ。
最近、契約社員として働いてる職場でもフリーランスの仕事でも
「無責任・よくない意味のいい加減」な仕事している人を見る機会が多くて、
とてもとても腹が立つのだけど、
同時に「とてもまじめな先輩たちからは私はこういう風に見えることがあるよね、ごめん」という反省が押し寄せてくることがあって。
被害者でもあり加害者でもあるというフレーズから想起される中で最も世俗的なやつを書いてみた。
いや、俺もね、全く同じようなことを連想したのよ。
今自分が携わっている仕事における、無責任の連鎖みたいなものに対する怒りと、自分自身もその一部であるという葛藤。
最近は怒りの矛先が、具体的な個々人に対してよりも、無責任の連鎖を必然的に生み出すとしか思えない組織の構造や、その土台となっている社会システムへと向かっている。
人間を「入れ替え可能な部品」として扱う超分業制、皆がつながっているようで誰もつながっていないバーチャルネットワーク、二次元的な情報と数字の氾濫に伴う人間性の剥奪……
ああ、180年前にマルクスが考えていたのはきっと、こういうことなんだ!と、勝手にわかった気になってます。
とはいえ、自分もこのシステムに乗っかって生活費を得ているわけで、悩ましい。
この前、ある人と仕事の話をしていて、俺が「最近、英語で喧嘩するスキルばかり上がっている気がする」と冗談半分で言ったら、「英語で喧嘩するときに一番よく使うフレーズは?」という、38年間の人生で初めての質問を受けまして。
うーん、なんだろう、としばらく考えて、出した答え。
“I understand, but…”
中学生でもわかる3単語でした。
喧嘩というか、相手に自分の言い分をわかって欲しいときにもう、反射的に出てきてしまう枕詞。
テキストでも、口頭でも。
ちなみに、よく使うフレーズではないけど、以前口にして上司にウケた短文。
“I feel like that I am selling a car which I know will be broken”
いや、笑ってる場合じゃないんだけど。
でも、ピンチのときこそユーモアを忘れずに。
さて、ぶっちーのおばあちゃんの話。
まどろんで、今起きてるのか眠っているのかわからないような時間の中を生きているのかもしれない。
こんな風にして、だんだんと「眠り」に近づいていくことができるのは、結構幸せなことなんじゃないか、と思いました。
いや、当のご本人の気持ちや感覚はわからないし、周りの人にとっても大切な人が少しずつ「眠り」に近づいていく(ように見える)姿を目にするのは、もしかすると急にパタッと逝ってしまうより辛いことなのかもしれないけど。
でも、何にせよ「境界線が曖昧になる」というのは基本的にピースフルなことなんじゃないかと、俺は思うのです。
白黒ではなくグレー、コントラストではなくグラデーション、みたいな。
死について考えることは、すなわち生について考えることである、と誰かが言ってましてん。
たとえば明日、俺が急に死んだら、このブログはどうなるんだろう?
ぶっちーは、天国の俺に宛てて、気が向いたときに更新を続けてくれるのかな。
それとも、更新が止まったまま放置されるか、あるいはぶっちーがサイトごと削除するか。
どうして欲しい、というのは別にこれといってなくて、ぶっちーが好きなようにして欲しいかな。
ぶっちーが残りの人生をより豊かにするために、あるいは少しでも生きやすくなるために、もしこのブログを使えるものなら使って欲しい。
逆に、もしこのブログが存在していることがぶっちーにとって重荷や足枷となるなら、サクッと削除して欲しい。
別にあっても困らないけど、かといって特に書くこともない、というなら放置でも構わない。
どうぞ、お好きにしてください。
(というのは、もしかすると無責任な態度かもしれないけど)
逆にぶっちーが死んじゃったら、俺はこのブログをどうしようかな。
確か7年前、ぶっちーが結構大変な手術をする際に、俺は「もしぶっちーが死んでも、俺は天国のぶっちーに向けてこのブログを書き続けるからな」と書いたけど、いざ死んじゃったら、そんな気持ちにならないかもしれない。
そもそも、仮に俺が天国のぶっちーに向けてブログを書いたとして、それはぶっちーにとって喜ばしいことなのか?
ぶっちー的には「そんなの勘弁してくれよ」という話なのか、あるいは「別にどうだって良い、お好きにどうぞ」という話なのか。
よければ、ぶっちーの思うところを聞かせてください。
(聞いたところで、その通りにすることを保証するわけじゃないけどね)
さて、そんなことを考えていたら先日、38歳になりました。
そしてぶっちーは、39歳ですね。
ハッピーバースデー!
(ロサンゼルスは今、まだ12日です。ギリギリセーフ)
誕生日プレゼントに、最近のマイブーム、藤井風の美声をお届けします。
May the love and peace be with you.
2024.10.13
はるん
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