ぶっちー、


こんにちは。

すっかり春ですが、お元気ですか?

こちとら、長崎に引っ越しました!


娘たちを連れて新居に移った後、かれこれ4年近く住んだ横浜のマンションを引き払うために一人で東京に戻ってきて、そのまま珍しく自分が企画した飲み会(同僚の送別会)に参加した後に今、出張先の鹿島でこの文章を書いています。


鹿島、行ったことありますか?

茨城県の海風吹き荒ぶ人口5万人の田舎町です。

お客さんに車でホテルまで送ってもらったんだけど、周囲に何もなさすぎて、ここ18時間ほどホテルから一歩も出ていません。


そういえば今から10年前、アメリカはヒューストンのホテルで似たような状況になり、3日間ほぼ軟禁状態だったこともあったなあ(ダウンタウンの野球場に行くためタクシー代片道60ドル払ったっけ)。


ここ1週間ほど、長崎の山奥から横浜の公園、赤坂の繁華街、鹿島へと向かう高速道路の側道まで、各地に咲いては散る桜の花を眺めては世の刹那を感じています。

というわけで、ここで一句。


ニッポンの

西へ東へ

往きながら

散りゆく桜

眺める道中


100点満点中、2点かな。

失礼いたしました。


さて、閑話休題。

4月24日に自分待望のメジャーデビューアルバム『大谷翔平の社会学』がリリースされます。



大谷翔平の社会学 (扶桑社新書)
内野 宗治
扶桑社
2024-04-24



表紙のデザインや帯の内容は出版社にお任せしたんだけど、どう?売れそうでしょ?

先週、最終校了が終わって、あとは書店に本が並ぶ(のと電子書籍が配信される)のを待つだけ。

興味がある人に、読みたいタイミングで手に取ってほしいので原則、献本はしない方針です。


もし読みたければ、読みたいときが来たら、買ってください!


この本を書き始めてから仕上げるまでに、1年半ほどの時間を要しました。

もちろん毎日ずっと書いていたわけじゃなくて、数ヶ月ほとんど放置していたり、気が向いたときにガーっと書いたりしていたんだけど、トータルでは1年半くらいかかった。

これくらい時間をかけて、ひとつの世界観を描くような文章を作品として仕上げたのは、初めてです。

(もしこのブログを作品と見なしたら、もう9年くらい制作中ということになるけど)


せっかく頑張って書いたので、この本を仕上げるまでの過程や、書きながら思ったこと考えたことを、この場を借りて書いてみようかなと思います。

題して、メイキング・オブ・大谷翔平の社会学。

誰得?もちろん俺得です。


まず、この本を書き始めたキッカケ、というか「大谷翔平の社会学」というアイデアを得たキッカケは、本にも書いたんだけど、現職の同僚とのメールのやり取りでした。


彼女はマーケティングリサーチのプロとして働く聡明な人でして、学生時代には野球場でビールの売り子をしていたというほど野球が好きで、かつ複数のナショナリティを有するバイリンガルでもあり、この本のメインテーマといえる「野球とナショナル・アイデンティティ」という切り口を得たのは彼女のおかげと言えます。

ちなみに、在籍期間はかぶってないけど、彼女もICUの卒業生(後輩)。

ICUでは社会学を専攻していたそうで、「大谷翔平の社会学」というアイデアはまさに、彼女との雑談を通じて得たものです。


俺はたぶん、もともと「野球やメジャーリーグを切り口に、社会について気ままに論じる本を書いてみたいな」という漠然とした思いは持っていて、それが「大谷翔平の社会学」という具体的なアイデアを得たことによって形になったのかなと思う。

自分が長年(自分でも気付かぬうちに)温めていたオリジナルなテーマと、今この2024年という時代がドンピシャでマッチした、そんな感覚です。


ウェブの記事でも一冊の本でも、多くの場合はまず中身の文章を書いて、書いている途中か最後にタイトルを決めるのではないかと思うけど、この本に関してはまず「大谷翔平の社会学」というタイトルが最初に決まった。

いや、「大谷翔平の社会学」はタイトルというよりコンセプトで、タイトルは途中でもっと良い案が見つかるかもなと思っていたんだけど、結局これ以上に良い案は見つからず、というかほとんど考えるまでもなく、もうこれ以外はないという感じで「大谷翔平の社会学」にしました。


で、「大谷翔平の社会学」というコンセプトから思いつく話をいくつか断片的に、自由気ままに書いていって、それらをある程度の形にするまでに約1年。

この間、他の誰にも原稿を見せずにただ、自分一人で黙々と書いていました。


最初は、halvish名義でKindle書籍を作って個人出版しようと思ってたんだよね。

だけど昨秋、ひょんなことから扶桑社の遠藤さんという編集者が原稿を読んでくれて、ありがたいことに同社からの出版を提案してくれた。


これまた本のあとがきにも書いたけど、遠藤さんは今から12年前、俺が「日刊SPA!」でライターデビューしたときの担当編集者でもあります。

つまり一度のみならず二度、俺が物書きとして「メジャーデビュー」するキッカケを彼は作ってくれた。

その昔、一緒にサンフランシスコへ行って野球を見たり、コリアタウンで参鶏湯を食べたりもした間柄です。


この本を書き始めてから1年ほど、一人で黙々と書いていたときは今ひとつゴールが見えず、書きながら「うーん」と行き詰まる場面も多かったんだけど、遠藤さんというプロの編集者を最初の読者として得て、そこからクオリティが格段に上がった気がする。

彼も、俺が書き直した原稿を見て「明らかに良くなった」と言ってくれた。


実は、文章そのものに対しては、遠藤さんからそれほど多くのアドバイスをもらったわけじゃないんだよね。

「このキューバ野球の話はちょっとマニアック過ぎるから省いていいんじゃない?」とか「全部の章に大谷の話を入れよう」とか、それくらい。

書いたものに対する具体的なアドバイスというより、いわゆる「新書」というものを作るうえでのマインドセットとかコツみたいなものを教えてもらったように思う。

そしたら、文章が劇的に良くなった、というか「売れる」ものになった。


テクニカルな技術が上がったというより、たぶん、遠藤さんという一人の具体的な(かつ目の肥えた)読者を得たことによって、文章の「宛先」が明確になったことが大きかったんだと思う。

顔の見えない不特定多数の読者に向けて書くよりも、顔の見える特定少数の読者に向けて書く方が文章がシャープになるというような話は、このブログにも何度か書いてると思うけど。

このブログも、ぶっちーという明確な宛先があるからこそ、俺は筆を進めることができるのです。

(実はこの記事を書き始める前、このブログではない場所、たとえばnoteとかで第三者に向けた口調でメイキング・オブ・大谷翔平を書こうかなとも思ったんだけど、数行書いてテンションが上がらなかったのでやめました)


ふう、なかなか本の中身の話にまで至らないけど、まあいいか。


と思っていたら、そろそろ空港に行く時間だ。

長崎のニューマイホームに帰ります。

本稿の続きはまた別途書きます(書かせてください)。


最近は引っ越しやら出張やら本の仕上げやらでバタバタしてたけど、次東京に来るときは連絡しますので、お茶でもしましょう。

では、お元気で。

アディオス。


2024.04.10

はるん