ぶっちー、
こんにちは。
4月も半ばですね。
最近はポカポカした日が増えてきて、仕事の合間に近所の公園で音楽を聴きながらコーヒーを飲んだり、そんな俺のもとに駆け寄ってきた見知らぬインド人の男の子と滑り台で遊びながらそのママとお喋りしたり、多摩川の河川敷に座りながら蔦屋書店で衝動買いした雑誌を読んだり、春の訪れを楽しんでいます。
天気の良い日に太陽の光を浴びながらゴキゲンな音楽を聴いてると、それだけでウキウキ幸せな気分になるのってホント安上がりな贅沢。
そろそろサンディエゴかバルセロナ辺りに移住した方が良いんじゃない?って15年くらい思ってるけど、まだ移住してないってことは、何が何でもしたいことじゃないんだろうな。
「CCぶっちー」で再三登場した「本当にやりたいことはもう既にやってるはず」理論。
でも、実際にやってみて初めて「ああ、俺、これがやりたかったんだ!」「俺が心の底から求めていたものはこれだったんだ!」って気付くこともあると思うし、今はまだやっていないこと=本当はそれほどやりたくないこと、って決めつけちゃうのも危険だよね。
人は自分が今持っているモノサシでしか、価値判断ができないわけで。
いざサンディエゴに住んだら、自分が今こだわっていることや大事にしているものがどうでもよくなって、人生の幸福とは何たるかに気付くのかもしれない。
いや、サンディエゴでのハッピーライフは容易に想像がつくから、もっと想像がつかないところ、たとえばカザフスタンとかブルガリアとかマダガスカルとかに行ったほうが、ドラスティックに価値観が変わるのかも。
俺はマダガスカルに住んでも、このブログを更新し続けるだろうか?
するだろうな、きっと、今よりもハイペースで。
…というのも今のモノサシで予測しているに過ぎないから、わからないな、実際に行動してみないと。
…というのも今のモノサシで予測しているに過ぎないから、わからないな、実際に行動してみないと。
さて、先日、蔦屋書店で衝動買いした雑誌がもう一冊。
Kindle Unlimitedの対象になっていたことに今気づき、チクショウ、紙の本に1650円も払っちゃったじゃんかよ!って思ったけど、たまには手でページをめくりながら雑誌を読むという古風な嗜みも良きかな。
アンディ・ウォーホルって、知っているようでよく知らないなあと思い、マガジンハウスの思うツボやと思いながら買ってみた。
前回の記事で書いたソール・ライターは1960年頃のニューヨークで活躍した写真家だけど、ウォーホルが頭角を現したのもやはり同時代のニューヨークなんだよね。
1920年代のパリとか、1960年代のニューヨークとか、その時々で面白い人たちが集まる場所というのがあると思うんだけど、今はどこなんだろう?
東京?まさか。
マドリッド?さて。
マドリッド?さて。
俺が思うに、今はもう特定の街じゃなくて、本当に面白い人たちはジプシー的な根無し草で、あるときはサンパウロに、あるときはコペンハーゲンに、あるときは福岡に、みたいな感じで集合&離散を繰り返しているのかも。
オンラインサロン的なインターネット上のコミュニティに面白い場所があるわけないし(と俺は思っている)、本当に面白い人たちは物理的な移動を繰り返しながらオフラインで会合しているんだろうな、きっと。
さて、アンディ・ウォーホルの「名言集」がやはり面白かったので、ここにアーカイブしておきます。
なんでオリジナルじゃないといけないの?他の人と同じがなんでいけないんだ?But why should I be original? Why can’t I be non-original?
退屈なものが好きなんだ。I like boring things.
みんな機械になればいい。誰も彼もみんな同じになればいいんだ。I think everybody should be a machine. I think everybody should like everybody.
自分について何が書かれているかなんてどうでもいい。大事なのは、どれくらいのスペースが割かれているかだ。Don’t pay any attention to what they write about you. Just measure it in inches.
頭はリッチに、見た目は貧しく。Think rich, look poor.
アンディ・ウォーホルって人間について知りたければ、ぼくの絵や映画を、ただ表面的に見ればいい。そこにぼくがいるから。裏には何もないんだ。If you want to know all about Andy Warhol, just look at the surface of my paintings and films and me and there I am. There’s nothing behind it.
好きです。
“Stay hungry, stay foolish”よりも、個人的には”Think rich, look poor”の方が好きです。
話は変わるけど、去年の12月にCAPSULEが約8年ぶりのアルバムを出してたのね。
知らなかった!いつの間に!
CAPSULEの歴代アルバムは作品ごとに音楽性がガラッと変わって、それが魅力のひとつだったんだけど、最新のアルバムはユニット結成25年目にして、グルっと一周して原点回帰しましたみたいなサウンドで、思わず「おかえりなさい」と言いたくなった。
原点回帰と言っても、もちろん25年前よりは遥かにパワーアップしている。
原点回帰と言っても、もちろん25年前よりは遥かにパワーアップしている。
Perfumeもきゃりーぱみゅぱみゅも、それ以外の中田ヤスタカプロデュース作品も好きだけど、やっぱりCAPSULEが一番好き。
CAPSULEという音楽ユニットの何が特別か?What really makes them different?って考えてみると、もちろん中田ヤスタカの類まれなる音楽制作能力が土台としてあるわけだけど、一番のユニークネスは「こしじまとしこの声」にあると俺は思うのね。
ピコピコ電子音ばかりで、物理的には簡単に複製可能な彼らの音楽において、この世に一つしかない「こしじまとしこの声」というのが、CAPSULEの音楽がCAPSULEの音楽たる証みたいになっていると思う。
彼女の声が良いとか悪いとか、歌が上手いとか下手とかいう問題ではなく、ただ特定の人間が発する唯一無二の声がアナログなインプットとしてそこにある、という事実。
音楽的にはすごくデジタルな彼らの音楽になぜか「人間がつくった音楽」という印象を受けるのは、彼らの音楽が「こしじまとしこの声」を起点にしているからではないか?
たとえアナログ1%、デジタル99%だとしても、出発点がアナログで、あとは全てデジタル、という順序が大切なんだと思う。
たとえアナログ1%、デジタル99%だとしても、出発点がアナログで、あとは全てデジタル、という順序が大切なんだと思う。
極論、「こしじまとしこの声」をいかに魅力的に見せるか?という発想で、中田ヤスタカはコンピュータを駆使して曲を作ってるんじゃないか?という気さえする。
まあ、それはPerfumeとかきゃりーぱみゅぱみゅのプロデュースにおいてもそうだと思うけど、CAPSULEは他のプロデュース仕事ほど商業的成功を追い求めなくて良いから、純粋に音楽的魅力を追求できるんだろうな、やっぱり。
BTW, 明日からしばらく札幌に行ってきます。
次回記事のタイトルは「北の国から」かな。
2023.4.12
はる
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