ぶっちー、

お返事ありがとう、そしてご退職おめでとう。
扁桃炎辛いよね、俺も20代の頃に何度かやりました。
フランス羨ましい、俺行ったことないのよね。
ヨーロッパは、イタリアとイギリスとロシアしか行ったことない。
来月、妹がザルツブルグで結婚式を挙げるんだけど、諸事情により俺は行かない予定だし。
ウクライナ戦争で航路が今めちゃくちゃらしくて、両親や弟は東京からチューリッヒ経由で行くんだとか。

さて、ここ最近は「金曜日にブログ更新」をルーティーンにしてたけど、このルーティーンを一回バラして、再び「自分が書きたいタイミングで書く」に戻そうと思います。

まずはコンスタントに書き続けることが重要という考えから、敢えて自分にルールを課してみたけど、別にルールがなくても書き続けられる気がしてきたので、再び自分を放し飼いします。
そもそも、サラリーマン稼業や家事や育児をルーティーン的にやっている中で、敢えてブログまでルーティーンにする必要はないよな、と。
誰かに依頼された原稿じゃないんだから「締切」なんて設けず、もっと気分任せの「遊び」として取り組んだ方が良いのではないか、と。
書きたいときに書き、書きたくないときは書かない、というぶっちーの執筆スタイルこそが最もナチュラルというかプリミティブだと思ったのです。

さて、日本の貧しさについて。

頑張って波に乗れるときは調子に乗って(バブル経済の頃とかハゲタカとかSONYなどを漠然とイメージしています)
さらには正々堂々のビジネスでアメリカと戦える侍みたいな感じがあったけど、
もう今、いちごミルクのボトル赤く塗って果汁を多く見せようとしたり、
水に溶けにくいから水上置換法で集めるって小学校で習った水素が入ってる水が体にいいって売られてたり、
お弁当の容器の底が高くなってたり、ポテチが年々内容量減らしてたり、
気づかないうちに日本は資本的にも精神的にも相当貧しくなっていると感じてます。

今「正々堂々のビジネスでアメリカと戦える侍」と言ったら、俺がまず思い浮かべるのは大谷翔平だな。
ビジネスマンではないけど、今はアスリートくらいしか、世界を相手に正々堂々と戦える日本人がいなくなってしまったのではないか?
日本における狂気的なまでの大谷フィーバーや、サッカーやラグビーの日本代表戦、オリンピック報道における過剰なナショナリズムを見ているとそんな気がする。

経済的な貧しさが、精神的な貧しさに結びついてしまう現実が悲しいね。
やることがチマチマしてるというか、セコいというか、バレなきゃいいと思ってるというか。
いや、バレなきゃいいとすらも思ってなくて、たとえバレてもすぐに言い訳できる程度のマイナーチェンジにとどめる感じが何とも貧しい(ポテチの量減らしたりとか)。
その点、うまい棒が10円から12円に値上げすると発表したのは、潔いと思ったよ。
知らぬ間にうまい棒が2センチ短くなるとかより、ずっといい。
…と思ったら、今調べたところ、過去に「原材料高を理由に内容量を減らした」こともあったらしい、うまい棒。

「未来の子どもたちにも、これからも駄菓子のおいしさと楽しさを届けていくために。ちゃんと利益を出すことで、駄菓子文化の存続と発展に努めていきたい。やおきんの、2円分の決意です」

だそうです。
たった2円の値上げ(と言っても20%の値上げだけど)に、こんな悲壮感漂うエクスキューズを出さなきゃいけない時代というのが悲しいね。

日本が今、経済的に貧しいのは社会構造的に仕方ないとして、それに伴い精神的にも貧しくなってしまうのは、人々に哲学がないからではないか?
日本には「宗教」はあるけど「哲学」はない、と俺は思うのだけれど、哲学がないからお金や数字しか心の拠り所がないのではないか?
そんなことを考えていた故か、ここ数年、哲学に関する本をやたら読むようになりました。

最近、個人的に興味を持っているのが「フランス現代思想」と呼ばれるジャンルです。
というのも、ジャンル関係なく気になる本を雑多に読んできた中で、著者プロフィールを見ると「フランス現代思想」を専門にしている学者がやたら多いことに気付いたのね。
最近になって「あれ、俺ひょっとして、フランス現代思想とやらが好きなんじゃね?」と思い当たった。

フランス現代思想って、20世紀後半にある種ファッション的に流行ったもので、おそらく今日本で哲学をやっている人たちも広く影響を及ぼしているというか、研究の土台になっている分野なのだと思う。
だから、若手からベテランまで、日本人の優れた研究者による日本語の優れた入門書がたくさんある。
専門家同士でのマニアックな議論に終始するのではなく、異分野の学者や一般人も巻き込んで自由かつ活発な議論が行われている分野という印象。
こういう風通しの良さが感じられることも、俺がこの分野に惹かれる一因なのかも。

この貧相な時代を楽しく生き抜くには哲学だ!と思いながら、文庫本を片手にポテチ食べてます。

そんなに不満なら日本から出ていけと言われるかもしれないけど、いますぐ出ていく基盤がないなって感じたのが3年くらい前で、
国内でできる準備運動(だと、少なくとも自分が思えることに取り組もう)と重い腰を上げて、
  1. フランスのテック系会社の日本支社で働く
  2. アメリカ人がやってる日本の小さいデジタルマーケティングの会社で働く
  3. 日本で稼いだすずめの涙ほどのお金でFXしたりETFしたり株に投資したりして少しでも目減りしないように取り組む
  4. 国内株式は、株主優待が転売できるものを狙って購入する(航空券とか鉄道を中心に)
ということを始めました。

俺は4年前、日本脱出を試みてマレーシアに半年住んだけど、当時は外国に住むにせよ日本に住むにせよ、自由に楽しく生きるための基盤が全然なかったな、って今振り返ると思う。
その基盤とは何なのか?って考えると…

・経済力≒職業的スキル(お金を稼ぐ技術、手に職をつけること)
・教養(リベラルアーツを土台にした基礎思考力)
・多少の貯金

パッと思いつくのは、この3つかな。
今の時代、外国で暮らすこと自体は難しいことじゃないし、日本のパスポートは今のところ最強だけど、世界のどこであっても自由に楽しく暮らすにはそれなりの準備が必要だと俺も思う。

で、株の話ね。

俺、FXや株の売買に興味を持ったことが人生で一度もないんだけど、今の仕事では業務の一環として為替の計算をするし、上場企業で働いている以上は株式市場の影響を少なからず受ける(N社はニューヨーク証券取引所に上場してます)。
今、人生で初めて上場企業で働いているけど、働き始めてから驚いたことがいくつかあります。


◆Quarter(四半期)ごとの売上プレッシャーが凄い

これは、上場企業全般に言えることなのか、アメリカの会社だからなのか、それともN社の個別的なカルチャーなのかわからないけど、とにかく「目先の売上」に対する執着が凄まじく、各地域、各部門の責任者たちはそのことばかり考えている(ように見える)。
少しでも早く売上を計上できるようシステム上で数字を微調整したり、締め日までにお客さんからハンコを押した契約書をもらうよう圧がかかる。

面白いのは、重要視されているのが「利益」ではなく「売上」ということで、とにかく売上(トップライン)が目標値に到達しさえすれば、多少費用が増えて利益率が低くてもOK、という雰囲気があること。
言うなれば、筋トレで「脂肪が増えてもいいから、とにかく筋肉量を増やせ」みたいな感じ?
身体の機能性を高める上では体幹やインナーマッスル、栄養バランスや腸内環境も重要だけど、そういう目に見えない要素は無視して、とにかく外面的な筋肉を追求している感じ。
まあ、それが最も分かりやすい(株主の納得を得やすい)から、そうなってしまうのだと思うけど。

「3ヶ月の売上」には毎回、目標値が設定されるわけだけど、これがまあ当然のように「右肩上がり」なわけね。
第1Qの目標が500万ドルなら、第2Qの目標は600万ドル。
第2Qの目標が600万ドルなら、第3Qの目標は700万ドル。
てな感じで、特にこれといった根拠はなく「やや厳しい」ゴールが勝手に設定され、現場に押し付けられる。
言うなれば、パーソナルトレーナーがベンチプレスの重量を少しずつ上げていくみたいな感じだね。

社内で飛び交うメールや資料を見ていると、頻出単語がいくつかあるんだけど、その一つが”growth”で、社員5万人の頂点に君臨するCEOは「”growth culture”こそがN社の最も重要なDNAだ」と熱弁する。
こんな時代にgrowthとか言われてもなあ、とシラけてしまうのは俺だけじゃないと思うけど、これはN社に限らず多くの上場企業、株式会社という組織体、さらには近代資本主義に内在する病みたいなものかと思う。
株式会社が生き延びるためには資本主義が生き延びなければならず、資本主義が生き延びるためには経済を回し続ける(成長し続ける)しかない。
立ち止まってはならない、疑問を抱いてはならない、現状維持で満足してはならない、走り続けなければならない、という呪縛。
N社はグローバル企業らしく“Diversity”や”Inclusion”にうるさいけど、「アンチ成長主義」「アンチ資本主義」という価値観の多様性は認めないし、包容しないと思う。
国籍や性別といったデモグラフィックな多様性には寛容だけど、資本主義という宗教を信じない人間は出て行け、という排他性も有していると思う。

まあ、こうは言ったものの、その右肩上がり思考故に「もっと人を採用しよう」という話になって、その結果として俺は今の職にありつけたわけだから、このシステムを批判することは即ち、俺が今の社会的立場を得た正当性を疑うことでもあるわけだ。
しばらくは今のポジションをありがたく享受しつつ、同時に「これ、おかしくない?」という批判的な精神も持ち続け、どっちつかずの状態でグズグズ働きながら、こんな風に潜入レポートでも書いていれば良いかなと思ってるなう。


◆買収騒動と情報統制

5万人の社員を抱えるN社だけど、先月、とある投資グループに買収されることが発表されました。
アメリカでは大々的に報じられて、その日の株式市場でN社の株価は上昇率1位を記録したそうです。

買収が正式発表される数週間前、とある大手メディアに「N社が身売り交渉をしてるらしい」というスクープ記事が出て、すぐさまCEOから全社員向けにメールが来たのね。
「この手の噂は上場企業によくあることなので気にしないように」「我々の経営状況は至って良好だ」といったテンプレ的なメッセージの最後に「メディアやお客さんに何か聞かれても、ノーコメントを貫くように」と書いてあった。
要するに「外向けの情報は俺たち(上層部)がコントロールしてるんだから、お前ら余計なこと言うなよ」ってことだ。
まあ、俺を含むほとんどの社員はそもそも言うことなんて何もないんだけど「ああ、俺の知らないところで色々と政治が行われており、そして情報は統制されているのだな」と実感した。

自分が所属する共同体が売り買いされている、という事実は決してどうでもいいことではないはずなんだけど、辺境のローカルスタッフに過ぎない俺がこの身売りを「自分ごと」として捉えるのは難しくて、どこか遠くの国で起きた出来事のようにしか思えない(実際そうなんだけど)。
もしかすると今後、オーナーが変わった影響が何か出てくるのかもしれないけど、俺にはさっぱり見当もつきません。


◆ボス交代

俺が入社した約1ヶ月後、俺が所属するチームのボスが代わりました。
何の前触れもなく、突然「明日から、XXがトップだから」と海外の偉い人から発表されて、実際にXXがボスになって今日に至る。
俺の面接をしてくれた元ボスは、急に立場を奪われて、一応新たなポジションをあてがわれたようだけど、今どこで何をしているのか不明です。

これが外資系企業らしいトップダウンの非情な人事なのか、それとも俺が知らないトラブルやら社内政治が何かあったのか、実態はよくわからない。
立場を追われた元ボスは、日本オフィスの創業メンバーでもある超功労者で、ちょっとかわいそうだなという気もする。
一方で新ボスになったXXも、急に責任がのしかかって大変だと思うし、偉い人たちはご苦労様だよなあ、と末端から眺めて思っている。
出世したいという意欲はなくはないけど、会社組織の中で偉くなっても面倒臭いことが増えそうだし、何よりこんなブログも書けなくなりそうだし、サラリーマン的な出世に意味を見出せない自分がいる。

では、どう出世するか?

もちろん、このブログのように好きなことだけを書いて飯が食えるようになる、という形で出世したいよね。
もう30年くらいはかかるかもしれないけど、それまでは副業としてサラリーマンでもしながら、コツコツ書いていこうと思います。
ぶっちーを道連れにしてね、フハハハハ!

2020.04.14
はるお