ぶっちー、

ボンジュール。
もうすぐ3月ですね。

ここ最近、マスコミのニュースはウクライナ情勢一色ですね。
主に日経新聞の記事を読んでいて、表面的に何が起きているのかは何となくわかってきたんだけど、本質的に何が起きているのかはよくわからない。
記事のコメント欄で、大学教授とかが偉そうに解説しているのを読んで「ふむふむなるほど」と思いつつ、その書きぶりにどこか胡散臭さを感じてしまうのは何でだろう。
豊富な知識ありきで論じられていて、「自分が知らないことや勘違いしていることがあるかもしれない」という視点があまりないように見受けられるからかな。
ここであまり政治的な話をする気はないけど、俺ももう少し歴史を勉強しながら、自分がロシアに行った時に感じたこととかも踏まえて、自分なりに考えたことをそのうち書いてみたい(というか、書くことで考えてみたい)。

ところでウクライナと言えば、ARTBATっていうウクライナ出身の音楽プロデューサーデュオが結構好きで、一時期かなり聴き込んでた。
これ、リオデジャネイロの絶景スポットで行われた彼らのライブなんだけど、ちょっとダークでアンビエントな音楽と神々しいドローン映像の組み合わせが最高。



この映像、Cercleっていうプロジェクトなんだけど(知ってる?)、エッフェル塔とかピラミッドとかウユニ塩湖とかマリーナベイサンズとか、世界中の絶景スポットで色んなDJやミュージシャンにライブさせて、それを手持ちカメラやドローンで撮影して配信するっていうのをやってるのね。
デレク・バルボラっていうフランス人がファウンダーなんだけど、彼はパリの大学で映画を学んだ後、IT企業でAI関連の仕事をして、それからこのCercleを立ち上げたんだって(https://wired.jp/2020/03/26/cercle-in-japan/)。
こんなセンスの良いスタートアップ、日本からはまず出てこない気がするなあ。
スーパーボウルの歴代ハーフタイムショーや大谷翔平のホームラン映像集と並んで、俺がどっぷり見てしまうYouTubeコンテンツの一つです。
上記URLに長野の白馬で行われたショーもあるので、良かったら見てみてね。

さて、話は変わるけど、一昨々日は2022年2月22日でしたね。

仕事で作成するファイル名に大体、日付を入れてバージョン管理してるんだけど、提案書を作ってたら「XXX_Proposal_20220222」みたいになって、なんか暗号みたいだなって思ったのよ。
二進法ならぬ三進法みたいだなって。
というわけで、今日は「数字」について話をしたいと思います。

ぶっちーも俺も、割と「数字に強い」タイプの人間じゃないかと思うんだけど、一口に「数字に強い」と言っても、色々と種類があるように思うのね。
例えば「暗算がめちゃ早い」とか「円周率を100桁覚えられる」とか「バランスシートをパッと見ただけで経営状況が大体わかる」とか。
で、なぜか俺が昔から得意なのが、特定の種類の数字を記憶すること。
例えば、人の誕生日とか歴史の年号、野球選手の成績などをやたら覚えてる。
特に日付を覚えるのが得意で、人の誕生日だけでなく、自分の人生における大小のイベント(旅行とか転職とか)が発生した日付も気持ち悪いくらい覚えている。
ハヤトと一緒にインド旅行をしたのは2006年8月16日〜23日、ニューヨークにインターンに行ったのは2010年3月2日〜28日、新卒で入社した会社を辞めたのは2011年12月7日、とある仕事でバングラデシュのダッカ大学に潜入してなぜかマイケル・ジャクソン並みの歓迎を受けたのは2014年3月13日、この交換ブログを開始したのは2015年5月7日、クアラルンプールから深夜バスでペルヘンティアン島に向かったのは2018年6月5日、前職でモスクワに出張したのは2019年5月11日〜17日、永田町で漢方に関する学会の手伝いをしたのは2019年12月27日、この間京都で法事があったのは2021年12月4日、などなど。
もちろん、覚えてない日や勘違いしてる日もたくさんあると思うけど、前後3日くらいの誤差を許してもらえれば、自分の身に起きたイベントの日付は結構な確率で当てられる自信がある。
まあ、そもそもイベントがあったこと自体を忘れているイベントがたくさんあるという可能性は高いけど、「こんなことあったな」と覚えているイベントに関しては大体の日付もセットで覚えてる。
自分の身に起きたイベントだけじゃなくて、歴史上のイベントの年度や日付を覚えるのも昔から得意だった。

こう書くと、根本的に記憶力が良いように思えるけど、多分そんなことは全くなくて、例えば人の名前とか読んだ本の内容とか、文字でインプットした情報はかなり忘れっぽいと思う。
数字を記憶するときと、言語情報を記憶するときで脳の違う部分を使っていて、俺は前者が相対的に優位なんじゃないか?
数字も、デジタルな情報というよりビジュアルとして、数字を並べた時の見栄えや雰囲気とセットで記憶しているような気がする。
だからなのか、今仕事で扱っているようなデジタル感の強い数字は、全然覚えられない。笑

あと、数字を記憶すると言えば、昔は親しい友人とか家族の電話番号をほぼ暗記してたけど、今はその必要がなくなったからか、全然覚えなくなったね(そもそも電話番号ってもうあまり使わないけど)。
人の誕生日も、今はfacebookとかが教えてくれるし、別に覚える必要はないと思うんだけど、なぜか10年以上会っていない人の誕生日を未だに結構覚えていたりする。
まあでも、全然覚えてない人やそもそも知らない人も結構いるだろうし、ある一定の条件を満たした場合に限って記憶できているだけなのかな。
一時期かなり濃い時間を一緒に過ごしたとか、誕生日会みたいなことをやったとか、そういう体験があると覚えやすいだろうし。

デジタルな記憶や計算といった単純作業は人間よりコンピュータの方が得意だから、そういうのはコンピュータに任せて人間はより創造的な思考に集中すれば良い、というような論調があると思うけど、確かにそうだなと思いつつ、コンピュータに任せない方が良い類の記憶や計算もあると思うんだよね。
例えば人の誕生日って、確かにfacebookが教えてくれるし、そうでなくともGoogleカレンダーに入れたり手帳に書いておけば思い出せるけど、こういう外部記憶装置の力を借りて思い出すのと、自分でふと「そう言えば来週、Aさんの誕生日だな」って思い出すのでは、認知の仕方がちょっと違う気がする。
例えば俺、ぶっちーの誕生日が近くなったら(自分の誕生日に近いこともあって)「もうすぐぶっちーの誕生日だな」って自然に思い出すけど、そんな風に誕生日を思い出せる相手というのは限られている。
もしかしたら今日、Aさんが誕生日を迎えることをすっかり忘れているかもしれない。
でも、それは俺の脳が自分にとって必要な情報とそうでない情報を自然に取捨選択しているんじゃないか?って思う。
無理やり全部を記憶するよりも、脳の自然淘汰に任せて適度に忘れる方が自然な気がするというか。
もし人の誕生日を忘れたくないからといって、facebookやGoogleカレンダーに記憶を「外注」してしまうと、知人全員の誕生日が並列なデジタル情報になって、自然な重みづけがなくなってしまう。
ぶっちーの誕生日と、仕事で1回会っただけのAさんの誕生日が同じレイヤーの情報になってしまう感じがして、それが何となく嫌なのかも。
あるいは単純に、外部記憶装置に頼りすぎると自分の記憶力というか「思い出す力」が衰える気がして、それに抵抗があるのかも。
「物忘れが激しい」はスマホ依存症の典型的な症状だと思うし。

あと、これはまた別の話なんだけど、俺、例えば歴史上の人物のWikiとか著者プロフィールとかを見たときに、死亡年度から生誕年度を脳内で引き算して、その人が何歳で死んだのかを計算する癖があるのね。
死んだ年だけじゃなくて、例えば「この本を書いたとき、この人はXX歳だったのか」とか「終戦の年、この人はXX歳だったのか」とか、つい計算してしまう。
“Age is just a number”と言うけど、俺は年齢という数字に囚われているのかもな。
誕生日に対するこだわりや、日付に特化した記憶力の高さも、それ故かもしれない。
この話はまた今度、別の機会に掘り下げて考えてみようかな。

ふう。

数字の話と言えば、野球選手の成績についての話もぜひしたいところだけど、それもまた別の機会に。
ところで、今回の記事番号「144」は、12の2乗ですね。
So what? Nothing.

Have a good weekend!

2022.02.25(3 days after 2022.02.22)
はるお