ぶっちー、


Good afternoon.

予想外のお返事ありがとう。

流石の瞬発力に感服です。

今後もぶっちーが気まぐれ更新に専念できるよう、俺はより一層の安定更新に努めよう、と改めて思いました。

ぶっちーという「はぐれメタル」出没のお膳立て、それが俺の役目なのではないかと。


さて、お返事のお返事を書きまするん。


今の会社は、日本の会社で正社員8人しかいない&週に1度の出社がコロナ前から実施されてるデジタルマーケティングの会社なんだけど、全員副業してるのね。

その副業の中身が、ダンサーとかDJとか地方自治体の企画とかほんと履歴書が迷宮入りしそうな人材が集まってて、本当に毎日刺激的。

ダンサーの同僚は、ダンスはライフワークだけどライスワーク始めたくてこの業界に来たって言っていて、そこからわたしのライフワークにするなら何かなって考え始めたの。


全員副業、いいね。笑

俺の今の職場では、スポーツに関わる仕事ということもあって、副業ではないけどスポーツをしている人が多い。
例えば、入社前に俺をサッカー観戦に連れて行ってくれたMさん(30歳くらい、男性)は、学生時代からサッカー名門校でバリバリやってて、今も週末は地域の社会人リーグでプレーしているそう。
話を聞いた限りでは、その辺の草サッカーというレベルではなく、かなりガチの選手が集まってるっぽい。
彼にとってはサッカーがライフワークで、去年アキレス腱を断裂して今も定期通院するなど仕事に支障を来たしてる程なんだけど笑、もし仕事かサッカーのどちらか辞めろと言われたら、迷わず仕事を辞めるんだと思う。
彼は大学卒業後は金融関係の仕事に就いたものの、やっぱりスポーツに関わる仕事がしたくて、スペインに留学してスポーツマネジメントを学び、帰国して今の職場に入ったんだって。
一見すると無口で大人しい、育ちの良さそうな青年という印象なんだけど、たぶんフィールド上では人格変わるんだろうな。笑
彼にとって、サッカーは単なる娯楽ではなく、自分という人間を最も自由自在に表現し、他者と深くコミュニケーションできる手法なんだと思う。
いつか選手として思うようなプレーができなくなっても、少年サッカーのコーチをしたり、あるいはビジネスマンとしてサッカーに関わっていくんだろうな。

さて、自分はどうだろうと考えると、やっぱり自由に文章を書いたり写真を撮ったりすることが、自分にとってのライフワークなのかなと思う。
「自由に」というのが重要で、文章を書いたり写真を撮るのが好きだからと言って例えば新聞記者の仕事がライフワークになるかと言ったら、多分そうはならない。
型にハマった方法ではなく「自由に表現する」というのが楽しいし、18歳の頃にブログを始めてビビっときたのも、その自由空間(満喫じゃないよ)的な感じに惹かれたんだと思う。
同じ頃、ICUで元朝日新聞記者による「ジャーナリズムとは何か」みたいなゼミに参加したけど、つまらなすぎて1日で辞めたしね。

文章を書くとか写真を撮るって、具体的な行為だし
割とわかりやすいライフワークだと思うけど、もしかするとぶっちーの場合、それが少しわかりにくいのかもしれないね。

ぶっちーの脳内に断片的なキーワードはあるけど、それらを組み合わせると一体何になるのか、ぶっちーも誰もわからないというか。
でも、俺にとってのブログみたいに、18歳の頃からやっていたり興味を持っていたりすることって結構、重要なヒントになるんじゃないかと思う。
俺の記憶にある18歳の頃のぶっちーと言えば(いや、俺が出会った時のぶっちーは19歳か、失敬)、とにかくファッションがイカしてて、建築とかアートが好きで、でも意外とミーハーな趣味もあって、何かと熱しやすく冷めやすい…ってあれ、今とあんまり変わらない気が。笑
まあ、ぶっちーが書いていた通り、人間のコアってそんなに変わらないんだろうな。
ぶっちーのライフワーク、何だろうね。
やりたいこと、というより、この世に生を授かった自分に課せられた使命、ミッションは何か?と考えるのが良いのかも。
そう考えると俺も、自分のライフワークが何なのか、まだよくわからないな。
色々手探りで試しながら、少しずつ輪郭が見えてくるというか、輪郭が出来上がってくるものなんだろうな。
簡単には見つからない自分のライフワークを模索し続けること、それこそがライフワークなのかもしれないな(キリッ)。


伝統・アート・文化・教育が割と興味をそそられるキーワードで、おそらくこれがわたしのコアなんだろうなって36にしてやっと輪郭が見えてきた気がしてて。

これを機に昔からある程度の期間自分の中で繰り返し浮かび上がってくる「XXしてみようかなー」にひとつずつ挑戦してみようと思ってる。

まずはプログラミング。競技プログラミングとか面白そうやん?IQテストのパズルは何も努力しなくても代替できるし、できない問題は悪い問題だとさえ思うから新しく何かパズル的なのに挑戦したくて、それはプログラミングなのではないかと10年以上思っています。


「伝統・アート・文化・教育」と「競技プログラミング」が俺の脳内ではうまくリンクしないのだが笑、でもそれがぶっちーらしいのかもと思ったり。

あと、今気づいたけど「代替できる」は「大体できる」の変換ミスね。笑

IQテストは代替可能?Substitutable?どういうことだ?と若干疑問に思いながらもスルーしてたけど、今気付いたのでここで訂正しておきます。


さて、何度も「XXしてみようかなー」って思うのに実践も計画もしてないことって俺もたくさんあるんだけど、実はそれって、本当はそんなにやりたくないことなんじゃないか?って最近思う。

「XXする自分」に対する憧れはあるけど、色々と大変な思いや苦労をするくらいだったら別にやらなくていい、程度のことなんじゃないか?って。


例えば俺、20代の半ばくらいから「世界放浪したいなー」って10年くらい思ってるけど、まだ実行してない。

本当に放浪したいんだったら、多少は貯金したり、計画したり(計画したら放浪じゃなくなっちゃうかもだけど)、もしくは無一文でも勢いに任せて飛び出しちゃったりするもんだと思うんだよね。

そう考えると俺、本当は「世界放浪したいなー」なんて思ってないんだと思う、今のところ。
いや、思ってはいるんだけど、いざ実行となると色々面倒臭いから別にいいや、程度の願望なんだと思う。
それこそ20代の半ばに、ブログ読者や元同僚から計15万円くらいのカンパを集めてアメリカ行って、何の実績もないのにメジャーリーグの記者席に潜り込んだくらいの行動力はあったんだから、世界放浪なんて本気でやりたかったならとっくにやっていたはず。

でも結局は、放浪資金を貯めるくらいなら洋服買ったり女の子と遊ぶことにお金を使いたいし、かと言ってインドで1泊1ドルのドミトリーに泊まるくらいなら放浪なんてしなくていい、ということだったんだと思う。

ちなみにマイワイフは27だか28だかの頃に数ヶ月かけて南米とヨーロッパをバックパック旅行したそうで、そのための貯金も数年がかりでやってたというから、本当にやりたい人はそんな風にしてやるのだと思う。


何が言いたかったかというと、人って「本当にやりたいこと」って実はもう大体やっていて、あるいは何かしら行動に移していて、そうでないことは本当はそこまでやりたいことではないんじゃないか?

自分自身の「やるやる詐欺」の歴史と「気付いたらやっていた」の歴史を振り返ると、そんな風に思えてならないのです。


というわけで俺は、ぶっちーにとって「プログラミング」は実はそれほど重要なことではない、と思ってるよ。笑

ただ、「新しく何かパズル的なのに挑戦したい」というのは結構、本質的な話であるような気がする。

今パッと思いついたんだけど、例えば「経営」はどう?

業種や商材にも寄ると思うけど、結構パズル的なんじゃない?

ぶっちーには労働者としての素質はあんまりないと思うけど笑、経営者としての素質は結構あるんじゃないかと、俺は前々から思ってるんだけどな。

労働は「いかに頑張るか」の世界だけど、経営は「いかに楽するか」の世界だと思うから。笑

もちろん、より頭を使うのは後者であって、高IQが活かせるのも後者だと思う。
株式会社チームはぶのCEO就任、どうですか?(事業内容はTBD)

それからフランス語。発音難しすぎるけど訛っててもいいから喋れるようになりたい。フランスっていう国がそれを言語力として判断してくれるかどうかはかなり怪しいけれど!大学時代に1回きりの567でしっかりと挫折してるから、過去の自分を超える体験にもつながりそう。


567って懐かしいな。笑

俺も同じく、フランス語1学期で挫折しました。

ええ、ミーハー心で履修登録したら、返り討ちにあいました。

ちなみに高校からフランス語を学んでいた妹は、アルジェリア駐在時代に現地テレビ番組の取材を受けて、日本文化をフランス語で紹介するなどしていたそうな。


俺も過去に中国語やスペイン語を学びたいなと思ったことあるんだけど、結局学んでいないのはやっぱり、そこまでの学習意欲がないから&学ぶ必要に迫られていないからだと思う。
14歳の頃アメリカに行っていなければ、英語もロクに学ばず、今頃は超ドメスティックなジャパニーズおじさんになってた気がするし。
最近は、外国語を学ぶより日本語をもっと自由自在に使えるようになりたい、日本語の表現力をもっと磨きたい、って思う。
人間、最も深く思考できるのはやっぱり母国語を使ってる時だと思うし、今は新しい言語を覚えることよりも根本的な思考力を高めることに個人的な興味がある。
外国語は、俺的にはビジネスレベルの英語力があれば十分で(まだないけど)、あとは母国語の能力と、今や英語以上のユニバーサルランゲージかもしれない写真の表現力を磨きたい。
ICUの「英語は徹底してやるけど第二外国語はやらなくていい」というシステムは、今考えるとかなり良かったな。
まあ、「イタリアが好き」というだけの理由でイタリア語を学んだり(うちの母です)、韓流ドラマが好きだから韓国語を学んだり、といったパッションドリブンな外国語学習は、人生楽しくなりそうで少し羨ましいけど。
俺の場合はそういうパッションが今のところなくて、でもそのうち何かのキッカケで芽生えるのかもしれない(フィリピン人の愛人ができてタガログ語を学ぶとか。いや、英語で済ませるな)。


ふう、毎回のことながら長文失礼しました。

ぶっちーの記事に対してお返事を書くときって、自分でゼロベースでテーマを決めて書くときより制約があるはずなんだけど、にも関わらず、より「言いたいことが言える」ような感覚が少しある。
より「お喋り」っぽいモードになるから、素に近い状態で思ってることをそのまま言葉にできるのかな。
一人で黙々と書いているときは、どこか取り繕ってしまうというか、外向けの顔になってしまうというか。
あるいは、ぶっちーの文章を読むと、普段一人では考えないことを考えるから、新しい観点や発想が生まれて「言いたいことが言える」ような感覚になるのかも。
自分では普段開けない引き出しを開けるキッカケになるというか、自分でも存在に気づかなかった引き出しを発見するような感じ。

では、今日はこの辺で。
今週も1週間、生き延びましょう。


2022.1.30

はるお