ぶっちー、


やっほーい。

コロナ感染者数、増えてますね。

俺の職場でも陽性者が出て、PCR検査を受けないとオフィス立ち入り禁止になりました。

数年前まで「会社行きたくない」って思ってたのに、今は「会社来るな」って、世の価値観は変わるもんですね。

コロナに限らず、お互い健康には気をつけて過ごしましょう。


さて、今日は野球の話をしようと思います。


少し前の話なんだけど、年末年始に、元プロ野球選手の自伝を3冊読んだのね。

その3人とは一体誰かというと、、

  • ペドロ・マルティネス(1990年代後半〜2000年代前半に「地上最強の投手」と謳われた、ドミニカ共和国出身の投手。サイ・ヤング賞を3度受賞)
  • マリアノ・リベラ(ニューヨーク・ヤンキース黄金期のクローザーとしてMLB史上最多652セーブを挙げた、パナマ出身の投手。2013年に引退)
  • 王貞治(世界最多868本塁打、日本野球界のレジェンド)

いずれの自伝も、ライターが本人をインタビューして書いたもので、自伝というより「スーパースターの野球人生を振り返るノンフィクション」といった感が強いんだけど、どれも面白かった。


まず、ぶっちー的には「誰やねん」という存在かと思われるマルティネスとリベラは、俺がメジャーリーグを見始めた頃にバリバリ活躍していた選手たちです。

共にカリブ海の小国で決して裕福とは言えない幼少期を過ごし、やがてメジャーリーグで大成功という、絵に描いたようなアメリカンドリームの体現者たち。

「メジャーリーグで成功するか否かで、自分や母国にいる家族の生活水準が劇的に変わる」という状況でプレーしていた故のハングリー精神と、「まあ人生、何とかなるさ」というラテン気質が共存していたことが文章から感じられて、どちらも日本人にはないものだよなー、と思いました。


王さんの本は、日経新聞の「私の履歴書」で王さんの連載を少し読んだら面白くて、似たような本をアマゾンで見つけて買いました。

1940年生まれの王さんの人生は、日本の戦後史そのものというか、終戦後のだたっ広い空き地で野球と出会い、高度経済成長期にプロ野球選手となり、テレビの普及と共に国民的スターとなり…といった具合に、彼の野球人生は日本社会の変化と見事なまでにリンクしているんだよね。

ちなみに「私の履歴書」の話をすると、去年連載されていたファッションデザイナー、山本耀司の自伝も非常に面白かった(https://www.nikkei.com/topics/topic_resume_21083000)。

洋服作りやデザインの話に加えて、やはり戦後の東京がどう変化していったかという話とか、グローバル企業の経営者としてどんな戦略を持ってビジネスに取り組んでいたか、といった話も読み応えがあった。

ぶっちーが読んでも面白いと感じるんじゃないかな?オススメです。

(外国人として初めて「私の履歴書」に登場したモハメド・マハティールの自伝『マハティールの履歴書』も面白かったけど、ややマニアックなので割愛)


さて、貴重な年末年始に何で元野球選手の自伝ばかり3冊も読んだのかというと、今月からスポーツに関わる仕事を再開する上でのマインドセットというか、自分なりにモチベーションを高めておこうと思ったのかもしれない

で、実際にスポーツに関わる仕事を始めた今、改めて思うのは、自分は野球という特定の競技が好きなのであって、それ以外のスポーツにはほとんど興味がない、ということです。


なぜ、野球だけが好きなんだろう?

それも日本のプロ野球や高校野球ではなく、メジャーリーグが特に好きなのはなぜだろう?

野球と他のスポーツ、日本の野球とメジャーリーグは一体何が違うのだろう?


…というようなことを、今日は考えてみたいと思います。


まず、俺はメジャーリーグが特に好きだけれど、日本のプロ野球もまあまあ好きだし、高校野球もテレビをつけてやっていたら多少は見る。

熱量の違いはあるにせよ、「野球」という競技が総じて好きであることは間違いない。

近所のグラウンドで少年野球の試合がやってたら立ち止まって見ちゃうし、プエルトリコや台湾でも野球の試合がやっていたら見に行く。

どうしてこんなに野球が好きになったんだろう?って考えると、もちろん自分自身が小さい頃にプレーしていた、というのもあるだろうけど、何よりも「パワプロ」の影響が大きい。

三鷹のマンションで俺と激戦を繰り広げたぶっちーもご存知の通り、パワプロでは各選手の能力が「パワーA」「走力B」みたいな感じでデータ化されていて、それが俺の数字フェチ的な性格(というより性癖?)にマッチしたんだと思う。

確か小学4年生くらいの頃にパワプロにハマって(そういえば少年野球チームに入ったのも同じ頃だ)、その2年後には、新聞のプロ野球欄で打率ランキングとか眺めるようになっていた。

原点が「パワプロ」であることからも伺えるように、俺にとって野球は「スポーツ」というより「ゲーム」という感覚が強く、プロ野球にしてもメジャーリーグにしても「いかにゲームとして面白いか?」という観点で見ていると思う。

メジャーリーグが好きなのは、選手のプレーレベルが高いからというより、ゲームとして非常に上手く設計されているから。

例えば、特定のチームが勝ち過ぎたら面白くないので、チーム間の戦略が均衡するよう「ぜいたく税」制度を導入したり(選手への年俸を払い過ぎているチームは、一定の金額を貧乏球団に分配しなければならない)、FAやトレードで選手をどんどん入れ替えることができるようになっていて、弱小球団が大型トレードで一気に強豪チームへと変貌することも珍しくない。

日本のプロ野球も同様の取り組みをしてはいるんだけど、そのスケールが小さかったり、制度はできても諸々の事情から全然使われなかったり、どうしてもMLBに比べると見劣りする。

MLBはビジネスとしてダイナミックかつ洗練されていて、ある種の「リアリティショー」として非常に高い完成度を誇っていると思う。


ぶっちーが好きな日本の高校野球も、マスメディアの報道姿勢なんかを見ていると、立派なリアリティショーだよね。

というか、あらゆるスポーツはリアリティショーであるとも言えるけど(そうでなければ「八百長」になってしまうわけで)。

リアリティショーと一口に言っても、日本の「テラスハウス」からアメリカの「バチェラー」まで色々あるわけで(どっちも見たことないけど)、人によって好みが違う、というだけの話なのかもしれないな。


ちなみに俺が高校野球にあまり惹かれない理由を考えてみると、ひとつには、高校野球が自分にとって割と身近なものだったということがあるのかもと思う。

自分自身、男子校にいて、周囲の野球部員たちが(一応)甲子園目指して頑張っていたし、神宮球場へ彼らの試合を見に行ったりもした。

テレビに映る高校野球は、自分にとって遠い世界の話ではなく、だからわざわざテレビで見ようとは思わないのかもしれない。

その点、メジャーリーグはまさに夢の世界というか、自分にとって「憧れ」要素が強かったんだと思う。

もっとも、いざアメリカで取材とかするようになってからは、メジャーリーグも割と身近な世界になってしまって、一時期はあまり見なくなってしまったけど。

野球に関わる仕事や人間関係から離れて数年が経ち、去年大谷がホームランを打ちまくるようになった頃から、久しぶりに毎日MLB.comをチェックするようになった。

MLBに限らず野球熱が高まり、去年はオリックス対ヤクルトの日本シリーズもほぼ全試合テレビで見た。

日本シリーズをこんな真剣に見るなんて、10年以上ぶりだったと思う。

(一番鮮明に覚えているのは、1998年横浜ベイスターズの38年ぶり日本一)


さて、メジャーリーグが好きというと「アメリカかぶれ」と思う人もいるかもしれないし、実際そうかもしれないけど、例えば大谷とかダルビッシュとか、日本人選手が活躍するとやっぱり嬉しいんだよね。

日本のマスメディアの日本人選手贔屓報道は異常だと思うけど、とはいえ俺も大谷がホームランを打つと嬉しい。

これはやっぱり、異国の地で活躍する彼らの姿に日本人である自分自身を投影して、誇らしい気持ちになってるんだと思う。

俺も所詮、極東の島国で生まれ育った田舎者なんだな、と思うけど、一方で自分が「国際人」であると強く感じられるのも、メジャーリーグに接している時なんだよね。

MLB中継やアメリカのメディアを通じて生きた英語や国際感覚を学んだと言っても過言ではないし、そのおかげで今はグローバル企業で働けている。

アメリカ、というか欧米だけがグローバルではないという事実はマレーシアに住んで強く実感したけど、少なくとも野球に接している時、俺は自分がそれなりに洗練された国際人であるように感じられる。


日本人としてのアイデンティティ、そして国際人としてのアイデンティティ、その両方を感じられるのが俺にとっての「野球」というわけだ。

(うまいことまとまった…!)


野球について本気で書き出したら、あと10万字くらいは書けると思うけど、今日はこれくらいにしておくザマス。

春になったら、一緒に神宮球場でも行きましょう。

(前にも同じ話をしていたけど、今年こそ)


2022.1.19

はるお