ぶっちー、

ハローアゲイン。
もうすぐ2022年ですね。
次に2が3つ含まれてる西暦の年度はいつだろう?と考えてみましたが、100年後の2122年でした。
特に意味はないです。

さて、今日は最近ハマっている、カメラの話をさせて下さい。

去年娘が生まれてから、カメラにハマっています。
子供ができるとカメラにハマる人は多いそうですが、まさにそれです。
3年半前にクアラルンプールのショッピングモールで買った、ソニーのアルファ6000という少し古いミラーレス一眼レフの入門機みたいなやつに、エントリーモデル的な単焦点レンズを組み合わせて使っています。
しばらくは、オートモードで何も考えずにパシャパシャ撮っているだけでしたが、最近、思い立ってカメラの仕組みを勉強し始めました。
F値とは何か?ホワイトバランスとは何か?綺麗なボケを作るにはどうしたら良いのか?うまくピントを合わせるには?といった初歩的なところから学んでいます。
学んでいるうちに、もう少し高機能なカメラやレンズが使いたくなり、最近はgoopassというカメラ機材のレンタルサービスで色々な機種やレンズを借りては、自分好みの設定や描写を模索しています。

図書館マニアかつ建築マニアという同僚女性がこの前、建築は「文系と理系の交差点だ」みたいなことを言ってて「なるほど」と思ったんだけど、カメラもそうかもな、と思います。
職人の技術が詰め込まれた機械を用いて、写真という文学的な表現ができるものというか。
そういえば野球も、文学的な要素と数学的な要素を持ち併せたゲームですね。

スマートフォンを持っていれば誰もがカメラマンなこの時代、自分が写真を撮ることが特別好きだとは思っていなかったんだけど、これまでも何度か、スマートフォンではないカメラで写真を撮ることにハマった時期がありました。

記憶している限りではまず2007年の夏、Y一くんたちとカリフォルニアを旅行した時、小さなデジカメを持っていってパシャパシャ写真を撮りました。
この時撮った写真は帰国後にプリントして、皆でお互い撮った写真を持ち寄り、旅の思い出に浸る&語る会を開いた記憶があります。
なかなか青春ですね。

それから2013年、今度は知人から格安で譲り受けたキャノンの一眼レフを持って、プエルトリコやアメリカでたくさん写真を撮りました。
この時は、取材記事に添付する写真を撮るという業務的な目的も兼ねていたけど、それ以外にも色々撮っていた。
2014年にぶっちーとシンガポール、ベトナムに行った時も、このカメラを持っていったはずです。
シンガポールのカフェでサングラスをかけたぶっちーが優雅に佇む写真と、チャイナタウンのホーカーで3人のおばあちゃんが横並びで食事している光景を撮った記憶がありますが、残念ながらこのカメラで撮ったデータはほぼ全て、どこかに消えてしまいました。
当時は、自分が撮った写真が自分にとって大事なデータになる、という意識が全然なかったんですね。
データは消えてしまったけど、自分の脳内アルバムには今も何となくのイメージが残っている写真が何枚かあります。

そのカメラは数年後、金欠していた頃にあっさり売り払ってしまったのですが、2018年、先述の通りマレーシアで、今も使っているソニーのミラーレス一眼レフを買いました。
このカメラは、「カメラ欲しいなあ」と思っていた頃、偶然にも1週間で3人のカメラマンに出会い(日本人、マレーシア人、ドイツ人)、3人が全員この機種を勧めたことから「買うしかない」と思って買ったものです。
買ってから2ヶ月半くらい、マレーシアやシンガポールをあちこち旅行しながら狂ったように写真を撮りまくっていたのですが、その後パタッと撮らなくなってしまいました。
なんていうんだろう、付き合いたての恋人と短くも濃厚な日々を過ごした後、ふと情熱が冷めてしまった、そんな感じです。
でも、この頃に撮った写真は、今もデータを大切に保管しています。

せっかくなのでいくつか、お気に入りの写真を紹介させて下さい。
多すぎてうまく選べないので、カメラを買った直後に訪れたペルヘンティアン諸島で撮った写真に限定します。


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これは、島へのフェリーが出るターミナルの前です。どことなくキューバっぽくない?クアラブセという港町です。


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猫です。


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島に到着し、ビーチの真ん前にあるシャレー(山小屋風ホテル)併設のカフェで朝ごはん。この島にはリゾートホテルがほとんどなくて、質素なシャレーがビーチに立ち並んでいます。小さな島で道路もなく、車が一台も走っていませんでした。


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マレーシア国旗と、眠そうに目をこする青年。


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ボートタクシーに乗っていたら、別のボートとすれ違った瞬間。


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猫です。


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ケニアから来た女の子二人組と、ボートタクシーの運転手の兄ちゃん。運賃を安くするため相乗りし、隣の島に到着した直後に撮った一枚。左の子が「私、仲の良い日本人の同僚がいるのよ!」って言うから、どんな仕事してるの?って訊いたら「マッキンゼーのコンサルタント」だって。エリートやん!


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この島に来ていた人の9割は欧米人で、彼ら彼女らは何をするでもなく、こんな感じでビーチに寝転んで日光浴してる。欧米人の「南の島でバカンス」にかける情熱と、「何もしない時間を楽しむ」精神は素晴らしい。


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ビーチで何度もすれ違って、顔馴染みになった少年。すれ違い様にこちらを振り向いて笑ってくれた瞬間をパシャリ。


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島で知り合った人たちと、一夜限りの宴の後。オランダ人、イタリア人、ドイツ人、マレーシア人、日本人… 辺鄙な島での多国籍ディナー。


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島の子供たちは野生動物同然に放し飼いされていて、そのおかげか、子供が苦手な俺でもすぐに仲良くなれた。子供たちはカメラに興味津々で、壊されるの覚悟で一緒に遊びました。


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マレーシアの国花、ハイビスカス。


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仲良し兄妹。


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「浜辺のクリスティアーノ・ロナウド」と俺が勝手に呼んでいた少年。カメラのレンズを向けると、恥ずかしそうに手を隠しながらもピース。


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少年と父親と海。


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ビーチで黄昏れる猫を撮ろうと思ったら、良い感じにカップルが入り込んだ。


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おや、何だか仲間になりたそうにこちらを見ている…


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フェリーターミナルで誰かのお迎えに来ていたおばさんと、隣で遊ぶ少女。


以上、勝手に写真展を開いてしまいましたが、ペルヘンティアン諸島は本当に良いところでした。

この頃は完全オート(設定はカメラ任せ)、レンズもデフォルトの標準ズームレンズで、構図もろくに考えずに撮っていました。
以前、リョージくんに新宿で教わった「縦と横のラインを真っ直ぐにする」という基礎だけは結構意識していたけど、写真の技術的なことよりも、被写体となる人と限られた時間で良いコミュニケーションを取りたい、楽しみたい、その結果として良い表情を引き出したい、というようなことを考えていた気がする。
他にもたくさん、日本を含めて色んなところで撮った写真があるので、もしよければそのうち、また写真展を開かせて下さい。

さて、マレーシアから帰国後はしばらく、このカメラはカバンの奥底に眠っていましたが、冒頭に書いた通り娘が生まれて再び、日常的に写真を取るようになりました。
撮った写真の大半は一人でニヤニヤ観賞していますが、娘の写真は奥様家族との共有アルバム(iCloud)にアップしたり、ハードカバーの製本されたアルバムを作ってみたりもしました。
奥様の実家がある長崎に滞在時や、先日法事で訪れた京都でも、誰に頼まれたわけでもなくカメラマンを務め、共有アルバムを作ってはURLを親族に配布したり。
長崎では今年の春、海で山でドローンを飛ばすのに夢中になって、奥様どころか義理の姉にも呆れられたりもしました。



雲仙で撮影した映像を適当に編集しただけの動画です。ドローンの操縦が不慣れで若干ぎこちないのはご愛嬌ということで。


さて、それなりに立派なカメラで写真を撮るのは楽しいし、自分が撮った写真を誰かに楽しんでもらえたらもちろん嬉しいけど、ときどき、写真を撮りながら自分の「エゴ」みたいなものを感じる時があります。
言うなれば、「自分にとって都合が良いように、世界を切り取りたい」「自分が見たいように、世界を見たい」というような欲望です。

2019年に亡くなった作家の橋本治が、あるエッセイに、京都の祇園で桜の写真を撮りまくる群衆の様子がテレビのニュースに映っていて不快だった、というような話を買いていました。
曰く、『「写真を撮る」という行為は「被写体となるものを我が物とする」というような欲望丸出しの行為』であり、その光景をわざわざニュースで映されても見苦しい、と(桜だけ映せば良いのに、と)。

そんなに気にするなよ、とも思うけど、確かにレストランで食事の写真をパシャパシャ撮ったり、観光地で他人を押しのけて自撮りしたり、仲間とウェーイしてる様子をSNSにアップしたりというような行為には、「被写体となるものを我が物とする」というような欲望を感じることがあります。
俺も似たようなことをしている時はあると思うので、人のことは言えません。
その欲望は、他人の迷惑にならない限りは別に悪いものではないと思うけど、不快感を覚える人もいるだろうなとは思います。
何より自分自身、写真を撮ることは好きだけれど、写真を撮られることはあまり好きではない。
親しい人に「撮っていい?」と訊かれて撮られるのはいいけど、よく知らない人に勝手に撮られたりすると、嫌な気分になります。
少し大袈裟な表現すると、自分の身体から無断で何かを奪い取られたような気分になる。
でも、それと同じようなことを自分もしているのではないか?と思うことがあります。

橋本治は、こんな風にも書いていました。

プロのカメラマンなら、写真を撮る時「自分の気配を消そう」と思うんじゃないだろうか。カメラを構える自分と、被写体となる対象とどっちが大切かと言えば、当然「自分より対象」のはずだから、そう考えるカメラマンの気配は、自然と「消える」の方向に行くんじゃなかろうか。

写真に限らず、あらゆる表現はついつい「自己主張しがち」だと思うので、それを抑制する冷静さと客観的視点が、良い表現には重要なんだと最近思います。
このブログでも、ついつい自分の話、私的な話をしてしまいがちだけど、そうした話はあくまでも伝えたいことを伝えるために必要な文脈を提供するという役割に留めるべきであって、パーソナルな物語に一人で酔いしれないように気をつけなければならない。
でも、それを自分一人で見極めるのって結構難しい気がしていて、その点、このブログにはぶっちーという専属編集者(と俺は勝手に思っている)がいるので、多少は客観的視点を持ちやすくなっているのかな、と今思いました。

以上、長々と書いてしまいましたが、今日はこの辺で。
良い年末年始をお過ごし下さい。

2021.12.28
ハル