ぶっちー、

こんにちは。
しばらく会っていませんが、お元気ですか?

さて、約1年5ヶ月ぶりのブログです。

俺は今月限りで、3年も働い(てしまっ)た会社を辞めて、年明けから新しい仕事をします。
3年働いてもアウェイ感が拭えなかった日本企業での医療コンサルから一転、再び外資系企業でスポーツとメディアに関わる仕事をします。
一応コンサルとして3年働いて、ビジネスマンとしては多少レベルアップした状態で、懐かしのホームグラウンドに戻るような気分です。
次の職場は自分次第でグッと世界が広げられそうな環境で、結構ワクワクしています。

人が自分のポテンシャルを最大化するためには、自分の有限性をなるべく正確に認識しなければならない、と最近思います。

「自分には無限の可能性がある!」とか言って、あれこれ手を出し過ぎると、全てが中途半端になってしまい、自分の潜在能力が全然発揮できず、燻ったまま人生が終わってしまう。
はい、俺のことです。
もちろん、特に若いうちは色々やってみないとわからないことがあるし、あまりに早い段階で自分の人生を限定してしまうのも勿体ないと思うんだけど、色々やってみる過程で少しずつ自分の可能性を狭めていく、選択肢を削ぎ落としていく、色々と諦めていく、というプロセスが重要なのではないかと。
どこかのタイミングで、特定の何かに自分の持っているリソースをグッと集中投下する、その決意と見極めが大事なのではないかと。

この3年間、それなりに真面目に仕事をして、ビジネスマンとしての能力や技術は高まったと思うけど、自分の人生の可能性、選択肢の幅は良くも悪くも狭まったように感じています。
自分にはうまくできないこと、やりたくないこと、興味のないこと、頑張れないことがたくさんある、ということを思い知らされた。
その過程で、自分が自分に対して思い描いている理想像や、こう生きたいという人生観が、少しずつ変わっていった気がする。
意識的に変わろうとしたのではなく、色々なことを経験する過程で、移ろう四季のように自然と変わっていった。
そんな頃に新しい仕事のオファーをもらって、最初は正直あまり乗り気ではなかったんだけど、何度か面談して「ぜひ来て欲しい」と言ってもらって、だんだん「行きたい」という気持ちになりました。
自分が行くべき道はこっちだな、よし、一丁やってみっか、という気分になりました。

自分の有限性という話に戻ると、去年娘が生まれたり、祖父母が立て続けに亡くなったりしたこともあって「自分は、人間という動物の歴史的な繁殖プロセス、進化過程の一環に過ぎないのだ」という感覚が強くなりました。

良い意味でも悪い意味でもなく、その紛れもない生物学的な事実を実感する機会が増えたというか。
人は職業や配偶者を変えることはできても、生まれ持った家族や民族から逃れることはできないし、そこが人生の起点になる。
SNSの「つながり」はクリック一つで切ることができても、血の「つながり」は切れないし、両親から受け継いだ遺伝子も(今のところ)書き換えることができない。
どれだけ世の中がオンライン化しても、というかオンライン化すればするほど、人間にとって「血」や「遺伝子」といったフィジカルかつ目に見えないものが重要になっているようにさえ感じます。
血液のバイオロジカル検査や遺伝子検査が流行っているのは、先進医療としてだけでなく、新たな「自分探しの旅」としての側面があるように思います。

自分探しの旅と言えば、40年勤めた会社を去年末に定年退職した父親が最近、家系図を作ったり、ご先祖様に関する古文書を探し求めて山口県まで足を運んだり、何やら不穏な動きをしています。
企業人としてのアイデンティティが突如失われて、自分という人間のもっと根っこの部分にあるアイデンティティ=ルーツを追求したくなったんだろうな、と横目で見ながら思っています。

その気持ちは結構わかる気がしていて、というのは俺もつい数年前、仕事をせずに毎日プラプラしていた頃、自分のおじいちゃん、さらにはひいおじいちゃんのことが知りたくなって、国会図書館に出向いたことがあるのです。
おじいちゃんもひいおじいちゃんも高名な医学者だったので、マニアックな論文を医学誌に寄稿したりしていたんですね。
インターネットでも多少の情報は出てくるけど、どんな研究をしていたのかもっと知りたくなって、国会図書館で関連文献を探しました。
当時の俺は多分、社会的なアイデンティティを築くことに苦労していて、ある種のアイデンティティ・クライシスのようになっていたんだと思います。
で、自分のアイデンティティを確認するにはまず、自分のご先祖様のことを知ろう、と思ったんでしょうね。
文献を読んで何か特別な発見があったわけではないけど(というか書いてある内容はほとんど意味不明だったけど)、自分という人間がどういう文脈で今ここにいるのか、という新しい視点を得ることができたようには思います。
「今ここにいる自分」という点が、「かつていたご先祖様」と繋がって線になり、さらには当時の歴史的背景や社会情勢に関する知識と合わさって面になる、そんなイメージです。
小学生の頃に「歴史オタク」と言われていた頃の自分と、久しぶりに再会したような気分になりました。

そう言えば、小学生の頃は「歴史オタク」と言われていたことに加えて、結構な「数字オタク」でもありました。
漫画「日本の歴史」で学んだ日本史の主要イベントの年号はほぼ全て、1年のズレなく記憶していたし、何よりプロ野球選手の打率や防御率を新聞で毎日チェックして、今後のタイトル争いを脳内シミュレーションとかするのが楽しかった。
我ながら、あまり可愛くない小学生ですね。
とにかく、「マネーボール」がアメリカで出版される前から、野球選手のデータを見るのが大好きでした。

それから20年以上経った今、それなりに歴史ある企業の一員としてスポーツとデータに関わる仕事をしようとしているという事実は、振り返って考えると、何だかすごく自然な成り行きのように感じます。
「原体験」と言ったら言い過ぎかもしれないけど、子供の頃に夢中になっていたことに、仕事として関わろうとしているわけで。
逆に、3年やった医療の仕事は、父親含めてご先祖様たちが携わってきた「家業」ではあったけれども、個人的な思い入れや偏愛のようなものがなく、上手くのめり込めなかったな、と感じています。
まあ、今後またいつか別の形で関わることはあるかもしれないけれども。

久しぶりのブログ、何度か書き直して、こんな感じになりました。
最初は、最近ハマっているカメラの話を書いていたのに、1ミクロンも出てこなかったですね。
次回こそ、カメラの話をしようと思います。

では、良き降誕祭を。

2021.12.24
ハル