ぶっちー、

お返事ありがとう。
大変、興味深く読みました。

>「…これやってる限りは間違いなくハルくんとつながってられる」と思ったからだよ。

うーん、穿った見方をするようで申し訳ないのだけれど、ぶっちーは本当に、そう思った、あるいはそう思っているのだろうか?笑
あるいは、もしそう思っていたとして、本当に「…これやってる限りは間違いなくハルくんとつながってられる」のだろうか?

俺の立場で考えると、俺はこのブログをやっている限り「間違いなくぶっちーとつながってられる」のだろうか?
俺の考えでは、そもそも「ぶっちーとつながる」ために必ずしもこのブログは必要ないし、このブログがあるからといって「つながってられる」とも思わないな。
ブログをやる前から、ぶっちーとは「つながっていた」と俺は思うし、たとえブログをやめても「つながってられる」とも思う。
言い換えると、それくらい、俺はぶっちーを信頼している、ということだと思う。
ハヤトに対してもそうだし、家族に対してもそう。

もし、誰かを「ちょっと時間が合わないとかそういうしょうもないきっかけで失う」ようなことがあるとすれば、冷めた言い方かもしれないのだけれど、俺は「その程度の関係」でしかなかった、と思ってしまうんだよね。
そもそも、ぶっちーに限らず信頼できる友達や家族を「ちょっと時間が合わないとかそういうしょうもないきっかけで失う」とは、俺は思わないな。
もし、悪意を持って騙してしまったり、裏切ってしまうようなことがあれば、しょうもなくないきっかけで失ってしまうことはあるとは思うけれども。

「切られない安心感」が欲しいと思うようなことも、ぶっちーに対してに限らず、個人的にはないんだよね。
そもそも、人を「切る」とか「切られる」といった発想、というか表現が、個人的にはあまり好きではないのだけれど……
ぶっちーが「何してるかよくわかんない」としても、俺は特に気にすることもないし、それで「つながりが切れる」心配をすることもないかな。

まあ、俺は確かにSNSを急にやめたり、携帯の連絡先を大量消去したり、メールやラインもロクに返さなかったり、はたから見るとひょっとしたら、色んな人との「つながり」を切り捨てているように見えるのかもしれないけれども。笑
でも、俺としては、フェイスブックの「友達」に代表される表面的な「つながり」は一切放棄して、あるいは「飲み会」に代表される「場」ありきの「つながり」も一切放棄して、必要な人たちとだけ、必要な「つながり」だけを持ちたい、とここ最近、強く思っているんだよね。

さらに言うと、今はあまり他人と「つながり」たいとも思っていなくて、まずはもっと自分自身と「つながり」たい、と思っているんだよね。
スピリチュアルな話に聞こえるかもしれないけど、シンプルに、自分自身ともっと「友達」になりたいというか。笑
俺の中では「ひとり旅を楽しめるかどうか」が、ひとつのパロメーターなんだけど。笑
今はまだ、それなりに楽しめるときもあるけど、うまく楽しめないときも多々ある、という感じかな。

……と、今書きながら思ったけど、俺としてはぶっちーと「何してるか」を共有するよりも、「何考えてるか」をお互いに話しているときの方が、何となく「つながっている」感じがするかな。
で、俺はあまり頭の回転が速くないと自分で思っていて、自分の考えをパッと言語化するのがあまり得意ではなくて、こうやって文章を書きながら、つまり指を動かして自分の考えを目に見える形にしながら、俺はどんなことを考えているんだろう?って掘り下げていく方が得意なタイプだと感じているんだよね。
まあ、随分と回りくどいし鈍くさい作業だと思うんだけど、自分としてはこれがしっくりくる。
この点、ぶっちーは良くも悪くも頭の回転が速すぎる、と俺はよく思います。笑

以上、めちゃマジレスしちゃったけど、近年「つながり」についてはよく考えていたので、現時点での自分の考えを言語化してみる良い機会になりました。笑
ご存知の通り、俺はフェイスブック的な「つながり」に対して、かなり批判的なスタンスです。笑
そういう意味では、このブログも「つながり」を保証したり強化したりするわけでは、必ずしもないと思う。
ただ、ぶっちーが書いてくれたことに触発されて、こうして自分の考えを書いてみることは少なくとも俺にとっては良いことだと感じていて、ときに「つながり」について改めて考える良いキッカケにもなっているのではないか、と思う。

ところで、「アラサー男女の交換ブログだったブログ」、最高だと思います。
タイトル、変えようか。笑

2018.10.25
ハル