ぶっちー、
エクストリーム課題提出、お疲れさま!
>>自分自身について自分ごととして考えていない人が多すぎること。自分がどんな人間なのか、どういうことに喜びを感じるのか、なぜその仕事をするのか、なぜその労働に耐えるのか、そういうことを考えず、受動的な目標だけを追って生きている人が多すぎること。また、そのことに本人達が無自覚であること。
合格です、入学おめでとう。
ベトナムから帰国中だったMくんと先週、まさにこんな感じの話してたんだよね。
日本には「生きている」のではなく「生かされている」人が多すぎる、と。
自分がどんな人間なのか、どんなことに喜びを感じるのか。
俺は人を喜ばせるのは結構好きだけど、自分を喜ばせるのはそんなに上手じゃない、と思っている。
人を喜ばせるのはもちろん、自分を喜ばせる方法のひとつでもあるんだけど、
自分ひとりでどうやったら自分を喜ばせられるのか、まだよくわからない。
たとえば本を読んだりブログ書いたりしてる時間はとても楽しいけど、
何かしら外部からの刺激を必要としてしまう気がする。
たとえば無人島にひとり降り立ったとして、俺は何をするのだろうか?
はじめは森を散策したりするのかもしれないけど、
やがて飽きたら浜辺でボーッとして、空想に耽ったりするのだろうか。
そのときはじめて内なる自分と徹底的に向き合い、イマジネーションが湧き出てきて、
ついに小説を一冊書き上げてしまうのだろうか?
その前に、無人島で生き延びるサバイバル能力を身につけなきゃいけないけど。
>>この世で最大の悲劇は、オペラを歌うのが最高の喜びである人が世間体のために銀行員になったり、本当は華やかな帽子をデザインするのが三度の飯より好きな人が安定を求めて医師になったりすることである。
さくらさん、こんにちは。
俺にとって最高の喜び、あるいは三度の飯より好きなこと、何だろう。
文章を書くこと?それは確かに好きだ。
でも、最高の喜びか?とまで言われると自信がない。
三度の飯はちゃんと食いたい。
メジャーリーグを見ること?それも確かに好きだ。
でも多分、文章を書くことほど好きじゃない。
極めて受動的な娯楽として楽しんでいるに過ぎない気がする。
ぶっちーへのバースデーメッセージを30人から集めたこと?あれは確かに最高だった。
俺のアイデアに色んな人が賛同して協力してくれたという達成感、自分のアイデアを形にしたという満足感、ぶっちーが喜んでくれたという充実感。
アイデアを思いつく→人を巻き込む→形にする→誰かが喜ぶ、という一連のプロセスが好きなのかもしれない。
最後の編集作業は徹夜でやったし、よほど夢中で楽しかった記憶がある。
世間体や安定やしがらみに、俺はまだ囚われてしまっているのだろうか?
だとしたら、その檻から抜け出して生きていくにはどうしたらいいのだろうか?
この問題は本当に悩ましいし、目下の課題と感じている。
>>今より少しでも多くの人間が、自分という人間についてよく考え、その心に素直に生きようとした時に、たとえ履歴書に余白があっても、また、60歳を超えていたとしても、その実現に向かって、「行く手に危険がないことを確認し、安心できるように報告する」一連の作業を担えるように貴校で学びたい。
これ、とても社会的価値のあることだと思う。
今は道を少し外れると「行く手に危険がある」ことばかり周りから指摘されて、
結果的に誰も道を外れられない、外れちゃった人は自己責任で片付けられて誰もサポートしない、
という極めて排他的で非人道的な社会になってしまっている、と俺は強く感じている。
でも俺の経験上、少なくとも20代くらいのうちは道を外れても余白があっても生きる術はあるし、
その気になれば特殊ルートで道に戻ることもできるし、道を外すことをそんなにビビる必要はないと思う。
むしろブラック企業とかパワハラ上司に耐えて鬱になったり自殺しちゃったりするリスクについて、もっと周知すべきだと思う。
でも、俺は何とか死なずに今日まで生きてこれたけど、
メインルートを外れてから無駄な苦労を強いられたり社会的に差別されたり、
そういうこともあったと思うから、道を外れた人へのサポートはもっと必要だと思う。
正社員男性(サラリーマン)以外の人への社会的サポートが、あまりに希薄だとは思う。
キャリアコンサルというか人生コンサル、チームはぶでやりたいね。笑
そのためには俺ももっと、勉強しなきゃと思うけど!
2017.11.27
ハル
エクストリーム課題提出、お疲れさま!
>>自分自身について自分ごととして考えていない人が多すぎること。自分がどんな人間なのか、どういうことに喜びを感じるのか、なぜその仕事をするのか、なぜその労働に耐えるのか、そういうことを考えず、受動的な目標だけを追って生きている人が多すぎること。また、そのことに本人達が無自覚であること。
合格です、入学おめでとう。
ベトナムから帰国中だったMくんと先週、まさにこんな感じの話してたんだよね。
日本には「生きている」のではなく「生かされている」人が多すぎる、と。
自分がどんな人間なのか、どんなことに喜びを感じるのか。
俺は人を喜ばせるのは結構好きだけど、自分を喜ばせるのはそんなに上手じゃない、と思っている。
人を喜ばせるのはもちろん、自分を喜ばせる方法のひとつでもあるんだけど、
自分ひとりでどうやったら自分を喜ばせられるのか、まだよくわからない。
たとえば本を読んだりブログ書いたりしてる時間はとても楽しいけど、
何かしら外部からの刺激を必要としてしまう気がする。
たとえば無人島にひとり降り立ったとして、俺は何をするのだろうか?
はじめは森を散策したりするのかもしれないけど、
やがて飽きたら浜辺でボーッとして、空想に耽ったりするのだろうか。
そのときはじめて内なる自分と徹底的に向き合い、イマジネーションが湧き出てきて、
ついに小説を一冊書き上げてしまうのだろうか?
その前に、無人島で生き延びるサバイバル能力を身につけなきゃいけないけど。
>>この世で最大の悲劇は、オペラを歌うのが最高の喜びである人が世間体のために銀行員になったり、本当は華やかな帽子をデザインするのが三度の飯より好きな人が安定を求めて医師になったりすることである。
さくらさん、こんにちは。
俺にとって最高の喜び、あるいは三度の飯より好きなこと、何だろう。
文章を書くこと?それは確かに好きだ。
でも、最高の喜びか?とまで言われると自信がない。
三度の飯はちゃんと食いたい。
メジャーリーグを見ること?それも確かに好きだ。
でも多分、文章を書くことほど好きじゃない。
極めて受動的な娯楽として楽しんでいるに過ぎない気がする。
ぶっちーへのバースデーメッセージを30人から集めたこと?あれは確かに最高だった。
俺のアイデアに色んな人が賛同して協力してくれたという達成感、自分のアイデアを形にしたという満足感、ぶっちーが喜んでくれたという充実感。
アイデアを思いつく→人を巻き込む→形にする→誰かが喜ぶ、という一連のプロセスが好きなのかもしれない。
最後の編集作業は徹夜でやったし、よほど夢中で楽しかった記憶がある。
世間体や安定やしがらみに、俺はまだ囚われてしまっているのだろうか?
だとしたら、その檻から抜け出して生きていくにはどうしたらいいのだろうか?
この問題は本当に悩ましいし、目下の課題と感じている。
>>今より少しでも多くの人間が、自分という人間についてよく考え、その心に素直に生きようとした時に、たとえ履歴書に余白があっても、また、60歳を超えていたとしても、その実現に向かって、「行く手に危険がないことを確認し、安心できるように報告する」一連の作業を担えるように貴校で学びたい。
これ、とても社会的価値のあることだと思う。
今は道を少し外れると「行く手に危険がある」ことばかり周りから指摘されて、
結果的に誰も道を外れられない、外れちゃった人は自己責任で片付けられて誰もサポートしない、
という極めて排他的で非人道的な社会になってしまっている、と俺は強く感じている。
でも俺の経験上、少なくとも20代くらいのうちは道を外れても余白があっても生きる術はあるし、
その気になれば特殊ルートで道に戻ることもできるし、道を外すことをそんなにビビる必要はないと思う。
むしろブラック企業とかパワハラ上司に耐えて鬱になったり自殺しちゃったりするリスクについて、もっと周知すべきだと思う。
でも、俺は何とか死なずに今日まで生きてこれたけど、
メインルートを外れてから無駄な苦労を強いられたり社会的に差別されたり、
そういうこともあったと思うから、道を外れた人へのサポートはもっと必要だと思う。
正社員男性(サラリーマン)以外の人への社会的サポートが、あまりに希薄だとは思う。
キャリアコンサルというか人生コンサル、チームはぶでやりたいね。笑
そのためには俺ももっと、勉強しなきゃと思うけど!
2017.11.27
ハル
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