ぶっちー、

やっほー。
ぶっちーのぶっちーによるぶっちーのためのお手紙、拝読しました。

俺も自分への手紙を書いてみようと思ったけど、なんかうまく書けない。
まだ自分自身としっかり向き合えていないのかもしれない。
そのうち気が向いたら、もう一度書いてみようと思う。

今月より、正式にサラリーマン復帰しました。

入社日に早速、契約書やら年金手帳やらを一式忘れて事務の人を困らせた挙句、
ワールドシリーズを見ながらダルビッシュの記事を書いてる俺は、これまでと何も変わっていません。
ダルビッシュがボコボコに打たれて、悔しくて泣いた(会社で)。

試合後の記者会見でダルビッシュが「ここ3年くらい野球への情熱が落ちてしまってすごく悩んでた」って言ってたんだよね。
ダルビッシュ、お前もか、って思った。

会社勤めは色々面倒くさいしダルいけど(ダルダルごめんね)、
せっかくだから会社のリソース活用してやりたいことやりまくってやろう、と思ってる。
そのためにやりたくないことをどこまでやれるか、が鍵だな。

今いる世界でひと通りやりたいことやったら、またしばらくニートになってブラブラしながら、
その後の人生のことを考えようかと思ってるけど、ここでアメリカ人実業家と漁師の話を思い出す。

サラリーマン「頑張ってバリバリ働いて、たくさん稼いだらニートになって1日中遊んで暮らすんだ」
ニート「なんだ、それならもうやってるよ」

ふぅ。

俺は今ある環境という制約の中で、どんな風に生きたいか、何をしたいかということを考えているけど、
もし制約を取っ払って完全に自由になったら、どんな風に生きて、何をするんだろうか?
そもそも人は完全に自由になることなどできるのだろうか?
完全な自由とは一体、何なのだろうか?

おっと、今度はLibertyの話を思い出した。

今の俺は、何もしなくてもいい自由よりも、何かをできる自由を求めてるんだ。
物理的自由よりも、社会的自由。
インディペンデントな人間になりたいんだ。

今は会社に生かされているけど、早く自分の足で生きれるようになりたい。
31歳、戦いは続く。

2017.11.07
ハル